史上唯一の両軍無安打試合とは?〜1月4日生まれの野球選手!〜

お正月休みも終わり今日から仕事という方も多いのではないでしょうか?
僕も今日から記事を書いたりバイトに行ったり、勉強を始めたりとしていきます!今年1年間頑張ります!

今日は連続企画として1月4日生まれのプロ野球選手をご紹介していきます!

目次

  • 山中巽選手
  • 山部太選手
  • チャーリー・マニエル選手
  • バート・シャーリー選手
  • さいごに

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山中巽選手(中日)

山中選手は中日ドラゴンズで1960年代に活躍された投手です。
先発の柱として1963年と1965年の2回、最高勝率のタイトルを獲得しています!

また1968年8月24日、25日と連続でサンケイの豊田選手にサヨナラホームランを打たれたことでも有名です。

登板 投球回 勝率 奪三振 被本塁打 四球 防御率
山中巽(通算) 233 1938.2 61 49 .555 542  114  304  2.97

山部太(ヤクルト)

山部選手は1990年代から2000年代前半までヤクルトで活躍した左腕です。
1995年には16勝を挙げ、ヤクルトの優勝に大きく貢献します。
その後は故障に悩まされ、成績が伸び悩みますが2003年にリリーフに転向すると34試合で防御率1.05と復活を果たします。

史上唯一両軍無安打試合

山部投手を語る上で外せないのが、1994年4月26日のヤクルト対西武のイースタンリーグ戦です。
ヤクルト先発の山部投手は西武に1安打も許さない完璧な投球を披露します。
一方、西武先発の竹下投手も負けじとヤクルト打線にヒットを許しません。

試合が動いたのは5回。ヤクルトは外野手の失策と犠打で一死三塁とすると幸田正広選手がスクイズを決めて先制します!
山部投手はこの1点で流れに乗りノーヒットノーランを達成!(イースタンリーグ史上15度目)
しかし一方でヤクルト打線も竹下投手に無安打に抑え込まれ、なんと両軍共に無安打という珍記録になりました。

登板 投球回 勝率 奪三振 被本塁打 四球 防御率
山中巽(通算) 269 740.2 45 45 .500 651 93 378 4.40

チャーリー・マニエル選手(ヤクルト・近鉄)

赤鬼ことマニエル選手は1944年の1月4日生まれです!

1976年にヤクルトに入団すると、1978年には主に5番打者として活躍しスワローズを球団創設以来初のリーグ優勝、日本一に導きました!

翌年近鉄に移籍してからも打棒は衰えることなく、1979,80と二年連続の本塁打王を獲得するなどの大活躍で近鉄の二連覇に大きく貢献しました。

1979年に顎を骨折した際にはアメフトのようなフェイスガードをつけたヘルメットで登場し話題にもなりました。

現役引退後はアメリカで指導者となり、大リーグ・フィリーズの監督として2008年にはワールドチャンピオンに輝きました!これは選手時代に日本に在籍経験のある監督としては2度目の快挙でした。

試合 打席 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
マニエル(通算)  621 2449 2127 644 189  491 6  364  .303

主なタイトル:本塁打王(1979,80) 打点王(1980) MVP(1979)

バート・シャーリー選手(中日)

バート・シャーリー選手(登録名はバート)選手は中日で活躍した遊撃手です。

打撃には難がありましたが、ダイヤモンドグラブ賞が制定された1972年には同タイトルの初代セリーグ遊撃手部門を獲得するほどの名手でした。また引退後には外国人選手としては異例とも言える守備コーチに抜擢されるなど、その守備で一目置かれる存在でした。

試合 打席 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
バート(通算)  246 796 747 137 15 79 4 116  .183

主なタイトル:ダイヤモンドグラブ賞(1972)

さいごに

ひらやま
本日は1月4日生まれの野球選手をご紹介しました!マニエル選手は知っている方も多かったと思いますが、いかがでしたでしょうか?バート選手は是非覚えておきたい選手ですね!

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