パリーグ史上初の両打席本塁打を記録した選手を知っていますか?〜1月7日生まれの野球選手〜

1月7日といえば今から28年前のこの日、昭和天皇が崩御され昭和という1つの時代が終わったことで重要な1日です。
また野球界に目を移すと、1947年の1月7日は現在の北海道日本ハムファイターズの前身である東急フライヤーズが発足した日でもあります。
本日はそんな1月7日生まれの野球選手をご紹介していきたいと思います。

目次

  • 石田政良選手
  • 北村照文選手
  • ジム・ラフィーバー選手
  • さいごに

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石田政良選手(名古屋軍)

石田選手は1914年1月4日生まれの外野手です。
1937年に名古屋軍に入団すると1938年春にはリーグ3位となる打率.324を記録。
1940年には盗塁王を獲得します。
この盗塁王獲得は1937秋から4季連続で盗塁王を輩出していた、名古屋金鯱軍の連続盗塁王獲得をストップさせるものでした。
1941年に第二次大戦によって応召され、戦後に復帰しましたが1946年限りで引退されました。

試合 打席 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
石田政良(通算)  294 1092 931 215 0 34 88 56  .231

 北村照文選手(阪神ほか)

北村選手は阪神などで外野手として活躍された選手です。
1982年,83年には連続してダイヤモンドグラブ賞を獲得するなど守備の名手として知られ、数多くのファンを守備で魅了しました。1986年の阪神優勝にも貢献したのち1988年途中に西武ライオンズへトレードで移籍し、その後中日に移籍して1992年に現役を引退されました。

試合 打席 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
北村照文(通算)  1052 2359 2056 505 41 158 114 335  .246

 ジム・ラフィーバー選手(ロッテ)

ラフィーバー選手は1965年にドジャースでメジャーデビューを果たすと新人離れした実力を遺憾なく発揮し、主に二塁手として157試合に出場。打率.250、本塁打12、打点69の好成績で見事に新人王を獲得しました。
1972年限りでドジャースを退団すると海を渡りロッテオリオンズへ入団。主に一塁手として活躍しました。

パリーグ史上初!左右打席本塁打

ラフィーバー選手がNPB史に名前を刻んだのは1975年5月30日川崎球場での太平洋戦でのことでした。
初回に太平洋先発の東尾投手から左打席でホームランを放つと、4回には代わった安木投手から右打席でホームランを放ちます!これがパリーグ史上初の1試合での左右両打席本塁打となりました。
ちなみにセリーグではこの2週間前の5月17日に広島のリッチー・シェーン選手が記録しています。

試合 打席 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 三振 打率
ラフィーバー(NPB通算)  330 1217 1098 289 60  176 5 147  .263

さいごに

ひらやま
本日は1月7日生まれの野球選手をご紹介しました。まだまだ知らない名選手がたくさんいるので僕も勉強しながら記事を書いていこうと思います。それでは次回もよろしくお願いします

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