今日1月8日はウィルソン大統領が第一次大戦後の世界平和と戦後世界についての「14か条の平和原則」を発表した日だそうです。さてそんな1月8日はどんな選手の誕生日なのでしょうか。ご紹介していきたいと思います。
目次
- 田尾安志
- 川崎憲次郎
- 栗原健太
- さいごに
田尾安志選手(中日ほか)
まずご紹介するのが中日などで活躍された田尾安志選手です。
同志社大学から中日にドラフト1位で入団すると1年目から持ち前のバットコントロールを生かし新人王を獲得。徐々にチームの中心選手に成長し1982年からは3年連続で最多安打を記録します。その後西武を経て1987年からは地元阪神へ移籍。スタメンに代打に活躍し、1991年限りで現役を引退しました。
5打席連続敬遠
田尾選手の1番のエピソードは間違い無くこの5打席連続敬遠です。
田尾選手は大洋の長崎選手と首位打者を争っていましたが、最終戦で大洋は長崎選手に首位打者を取らせるため、長崎選手を休ませ田尾選手を全打席敬遠するという作戦に出ました。これに対して田尾選手は迎えた第五打席に抗議のスイングを行いましたが、結局打率はセリーグ2位で終わりました。
奇しくもこの試合は、中日が勝てば中日の優勝が、中日が負ければ巨人の優勝が決まるという大試合であり全国中継が行われていたため、全国から大洋への激しいバッシングが起こりました。
楽天初代監督
田尾選手は現役を引退後2005年に新球団となる東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督に就任します。監督経験のない田尾氏の就任は大きなニュースになりました。
初年度はチームの戦力が揃っていないこともあり、楽天はパリーグの最下位を独走。この責任を取る形で田尾監督も1年で辞任しました。しかし最終戦では辞任をする監督としては超異例の、選手に胴上げをされ送り出され、選手からの信頼が厚い監督であったことが想像されます。
まだ若いのでこれから球界に何らかの形で復帰されるかもしれません!
試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 三振 | 打率 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
田尾安志(通算) | 1683 | 5977 | 5414 | 1560 | 149 | 574 | 58 | 644 | .288 |
川崎憲次郎投手(ヤクルトほか)
川崎投手はドラフト1位でヤクルトに入団すると1年目から先発で登板を果たし、2年目には二桁勝利をあげます。1998年には最多勝と沢村賞を獲得するなどヤクルトのエースとして君臨しました。
川崎祭り
川崎投手は2001年から中日に移籍しましたが右肩痛の故障でほとんど登板がなく、高額の年俸に見合った活躍が出来ないでいました。
中日に移籍してから3年目の2003年の4月、2ちゃんねるで「川崎憲次郎をオールスターファン投票1位にしよう。」というスレが立ち、これを機に悪ふざけで川崎投手へ投票を行う人が増加してしまい、最終的には91万1328票を集めファン投票1位になってしまいました。
これに対して川崎投手は出場を辞退し事件は終わりました。
登板 | 投球回 | 勝 | 負 | 勝率 | 奪三振 | 被本塁打 | 四球 | 防御率 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
川崎憲次郎(通算) | 237 | 1411.1 | 88 | 81 | .521 | 874 | 158 | 475 | 3.69 |
栗原健太選手(広島ほか)
本日最後にご紹介するのが元カープの主砲、栗原選手です。
栗原選手は昨季まで現役を続けていたので、覚えている方も多くいらっしゃると思います。
広島カープの主砲として2004年から8年連続二桁本塁打を記録し、ベストナイン1度、ゴールデングラブ賞3度受賞の実力派選手です。
2009年には負傷した村田修一選手に代わり準決勝からチームに合流し優勝メンバーの一員になりました。
近年は怪我に悩まされ思うような活躍が出来ず、昨季限りでの現役引退を表明し、今季からは楽天でコーチになることが発表されています。
試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 三振 | 打率 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
栗原健太(通算) | 1026 | 4072 | 3695 | 1082 | 153 | 586 | 17 | 660 | .293 |
さいごに
