
こんにちは。平山です。
SNS(Social Networking Service)は、今や我々の生活の一部と言って過言でないほどに浸透していますね。
僕もFacebook、Twitter、Instagramの3つはアカウントを持っていて特にTwitterはガッツリ利用しています。笑。
通勤通学の間の電車の中や、ちょっとした待ち時間、家でテレビを見たりぼーっとくつろいでいる時は無意識のうちにアプリを開いて、新しい投稿が来てないか確認していることも。
そんなSNSについて、今日は思うところを申していきたいと思います。
が、
この記事はInstagramで投稿をすることについて批判的あるいは懐疑的な内容を含むものですので、Instagramを愛してやまない、Instagramこそ唯一神であり否定は許されない、とお考えの方は、どうかこの段階でブラウザを消していただくのが良いかと思います。
インスタの投稿、つまらなくない?
まず最初に言いたいのですが、僕が利用している3つのSNS、Facebook、Twitter、Instagramのうちで、僕はInstagramの投稿が群を抜いておもしろくないと感じます。
なぜか、ということを考えてみるのですが、InstagramはFacebookやTwitterに比して情報量が圧倒的に少ないことが挙げられます。
Instagramは写真や動画単体で投稿をするのが最大の特徴(だと僕は思ってる)なので、文字による介入の余地が極めて少ない。
綺麗な写真が色とりどりに並べられているタイムラインは洗練されていて素晴らしく、まさに壮観なのですが、その投稿一つ一つの深さはない。というよりも、投稿の質が他のSNSに比べると極めて低いと感じる。
それでも大人気なInstagram
僕がつまらないといくら言っても、Instagramの流行ぶりはそれはもうすごいもので、これを否定することはできません。
アクティブユーザーの数もTwitterを上回り、3億人に達したという情報も。実際僕の周りでもTwitterは1週間に1回も投稿しない人でも、Instagramでは1日に3回も4回も投稿してるなんて言う人もいる。どうしてそんなにみんなInstagramにハマってしまうのだろう。つまらないのに(*個人の感想です)
一つ考えられるのはインスタは投稿が簡単であること。
先にも書いたけれど、Instagramの最大の特徴の一つとして写真や動画を単体で投稿できる。特に「ストーリー」なんて機能は文章を入力することが基本的には想定されていないように見受けられる。撮った写真や動画をそのまま投稿すればいいだけ。
説明の文章を書く必要がないのだから、これは確かに簡単だ。
文章を書かなくてよく扱いやすいから流行るInstagram、それに対して、文章がないから物足りないと感じる僕。これはもう相性が最悪なのかもしれない笑。
その投稿は何のためなの?
相性が悪いなら、もうそれは仕方ない。
どうしても気が合わない人間やモノっていうのは世の中存在してしかるべきだから、いちいち言っていたらキリがない。
それを承知で、僕はつまらないInstagramの投稿は何のためにあるのかと疑問を抱かずにはいられない。
もちろん全ての投稿がつまらないわけではない。とても面白い投稿や興味深いものも沢山ある。僕がつまらないと感じるのは写真だけ、動画だけ、何の情報もない投稿。
旅行中に撮られた綺麗な景色+場所名なら、それだけでも「この場所ええなあ」と思えるのだけれど、彼氏彼女との自撮りだったり、飲み会の様子だったり、普通の食べ物だったりの投稿がめちゃ多い。
何というか、普段の生活の様子。正直言って

いや、、ほんと興味ないし、おもしろくない。
僕はブログを書いていくうちに何かを発信する上で大切なのは、誰に、何を、何のために、ということを考えることだと思うようになったのだけれど、Instagramの多くの投稿にはこの「何のために」という部分が欠けている、あるいは弱いと思う。
自分のために投稿していませんか?
では、なぜ彼彼女らはInstagramで投稿をするのか。
それは結局「自分のため」なのじゃないだろうか。
「いいね」をもらって褒められたい。「自分を良く見せたい」っていう承認欲求なんじゃないだろうか。
特に最近Instagramでストーリーが流行っているけれど、ストーリーの「いいね」を直接的にもらうことはなくて、誰が自分の投稿を見たのかという視聴履歴だけが残るというこの仕組みは本当にうまくできてると思う。
「いいね」を直接的に求めることは憚られるという人にはぴったりだ。
それに「いいね」をもらうには、最低限良いと思われる投稿を作り上げる必要があるが、ストーリーならその必要はない。投稿し閲覧されさえすれば閲覧履歴は残る。
閲覧履歴=自分の投稿を見た=自分に興味がある/自分を見てくれている
と考えられるのなら、より低次な努力で自分の承認欲求を満たすことが可能になっているだろう。
そのインスタの投稿、ウザがられていませんか?
ここまで読んでくれた人の中には、「それでも私の投稿にはいいねが来るし、私の投稿は面白い」と感じている人がいるでしょう。
果たして、本当にその投稿は歓迎されているのでしょうか?ウザがられていませんか?
後で自分の投稿に「いいね」をもらいたいから他人の投稿に「いいね」をすることはないでしょうか。タイムラインに流れてくる投稿を既読感覚で片っ端から「いいね」を押していませんでしょうか。
自分の自慢、自分が楽しむためだけに投稿をしていませんか。
もちろん承認欲求は誰もが持っているものだし、それを満たそうとするのは何ら問題のない行為です。ただ、それを安易な方法で満たそうとしては、かえって自分の評判を下げてしまうこともあるでしょう。ある日、”偽り”の承認に満足できなくなるかもしれません。そのとき自分が誇れるもの、拠り所とするものが何もない、なんてこと、考えただけで恐ろしいですね。
他人を楽しませる投稿をしよう=原点回帰
Instagram、というより、あらゆるSNSに共通して言える目的の1つは、見てくれる人を楽しませることだと思う。
自分から何かを発信していくというのは、一方通行のように見えて実はそうじゃない。常に相手がいるはずだ。つまらない投稿よりも面白い投稿が見たいだろう。
だから、自分だけが楽しむ投稿じゃなくて、他人を楽しませる投稿をしよう。
と言っても今までの投稿をガラリと変える必要なんてない。
食べ物の画像をあげるなら一緒にハッシュタグでお店の名前をつけたり、自分が買った商品を載せるなら1行でもいいからレビューを書いてみるとか。それだけで、読み手が受け取る情報の量は増えるし、他人にとってのその投稿の価値も上がる。つまらない投稿が価値のある投稿になる。
実際、僕もInstagramはお店の情報や写真を手に入れるにとても重宝しています。お店の名前のハッシュタグで検索をかければ沢山の投稿が出てくるし、食べログなどに載っていない、期間限定商品の情報なども手にいれることができて本当に助かってる笑。
人と人とのつながり(Social Network)を助けるSNSの本来あるべき姿を今一度確認して、SNSを使っていければ、自分の生活をより快適にすることができるし、周りとの関係性もより良くなっていくのではないだろうかと思う。
この記事を読んで思ったこと。
「インスタの投稿がつまらない」「インスタが自分の承認欲求を満たすために使われている」というメインの主張には同意。あとは細かいところで行くと、「ストーリーは見るだけで閲覧履歴が残るからなお承認欲求を手軽に見たしやすい」のくだりや「情報量が少ないのがつまらなさの原因の一端」ってのにもそうだよなあと思った。
自分的にも好きなSNSの順序ははTwitter>LINE>instagram>facebookと、インスタへの好感度はそこまで高くない。
その上で二点。
まず、「他人を楽しませる投稿をしよう」には反対かなあ。ひらやま氏が一番高頻度で利用しているであろうTwitterの起源も、単に「今何してる?」を呟くというコンセプトであり、今も単に脳内を文字にして垂れ流すツールとして使われている。それこそホントタダの「つぶやき」なのだ。アニメアイコンで20分に一回「○○とえっちしたい」とか「草」とか呟いてるツイ廃も、意識高いプロフィールで毎日字数制限ギリギリで日本の労働環境を語ってるアカウントも、両方思ってることの垂れ流し。他人を楽しませる必要は必ずしもない、と思うよ。
あと、インスタの文字の情報が少ないという性質をネガティブに捉える必要はないんじゃないかなと。Twitter&facebookは文字ベースのアプリ、instagramはビジュアルベースのアプリと、完全に棲み分けが出来ている。さらに言えばtwitterは即時性に長けていて、facebookは長文の議論発信に長けている。どれも違う性質を持っているから目的に応じて使い分ければいいだけの話に思える。
最後に、これはなんか壮大な言い回しになっちゃうけど、「承認欲求」ってもう、これは人間だれしも持ってるものだと思うよ。許してあげようよ()。良いことあったら誰かに知ってほしいし、嬉しいことがあったら人と共有したい。努力が報われれば誰かに褒めてほしい。今の時代それらがSNSの投稿と言う多少醜い形で発露されてしまうけど、女子大生のインスタ投稿もそう思って大目に見てあげて()
長文失礼した。
コメントありがとうございます。
1点目「他人を楽しませる」について。
まず「楽しませる」っていう表現がまずかったのかもしれないけど、読み手が広義の意味で面白いと捉えられるものを提供しようって話。その上で、誰も楽しめない脳内の垂れ流しをするようにtwitterを使っている人もいるだろうけど、それも個人的にはすごくつまらないと思う。これはもうSNSに対する信念の問題だから議論にはならない部分かと。
2点目:インスタの性質について。僕は別にインスタを否定している気はないし、おっしゃる通りインスタの画像重視なところは特徴的でよくできてると思う。記事内ではその特徴のせいで情報量が少なくなりやすいってことのみで書いたつもりだけど、そう取られたなら言及不足でした。すみません。
3点目:承認欲求ついて。これは本文中でも言ってるけど、それ自体は別に当然のものだとも認識してる。ご指摘の通り本当に嬉しいことや努力が認められた時に投稿するのは別に構わないと思う。それにそういう投稿は見てる側としても心地よい。でも連日何度もつまらない投稿するのはどうなんだって話だし、SNSの投稿でしか承認欲求を満たせない人が増えてきている現状は問題であり、この問題を看過するのはどうだろうか。SNS以外で承認欲求を健全に満たすためにはどうすればいいのかという議論をすることは、飛躍になるかもしれないけど子育て論とかにも応用される重要なテーマだと思う。あと女子大生だけじゃなくて男子大生も同じような投稿はしてる。
twitterやめてinstagramをよくやっている(※ブログでおすすめ料理店や行くと楽しい観光スポットなどめっちゃ発信しまくってる)先輩が「twitterはネットの嫌いな部分が見えすぎるからやめた。instagramは綺麗なもの、自分のみたいものしか見なくて済むから楽でいい」と言っていたのを何となく思い出した。
Twitterはかくあるべき、instagramはかくあるべきみたいな考え方そのものが(表現として非常に浅ましいことは承知で言う)悪い意味で日本らしさの塊だなって思ってる。双方向性が必要条件のSNSじゃないんだし「嫌なら見るな、やるな」で話済んじゃうしこの手の批判も九分九厘水掛け論になるし。感情的にはとても同感できるけど自分はあまり言わないようにしてる笑
“日本らしさ”という部分がよく分からないけれど、僕の考え方が唯一正解だとは思ってはいないです。一つのぼくの考え方だと思っていただければ。あと嫌なら見るな、やるな、っていう話ならこの記事も見るな、やるな、で済むわけで。「自分は言わないようにしてい」というのもまさに”日本らしさ”なのかもしれないですね。