こんにちは。平山です。
今日は、薄っぺらい人と、そうでない人の話をします。
僕の現在の興味の非常に大きな部分を占めていることに
「魅力的な人とそうでない人の違い」
というのがあるのですが、
その一つの回答を思いついたので、自身の考えのアウトプット及び自戒を込めるという意味、加えて、周りの方の意見も聞いて見たいということで記事にしてみました。
薄っぺらい人は〇〇しか持っていない
僕の周りには幸運なことにとても魅力的な方々が大勢いらっしゃるのですが、やはりそうは言っても、全員が全員そういうわけではありません。中には正直

とか

と思う人もいます。
そういう人ってどういう人なのか、僕なりの言葉で一言でいうと「薄っぺらい人」です。
発言や行動、ひいては存在そのものに”深み”がない、とでも言いましょうか。
「人としてつまらない」ということに近いかもしれません。
そんな「薄っぺらい人」をぼんやりと思い出しながら、魅力的な人とは一体何が違うのだろうか、とぼんやり毎日考えていたところ、先日あることに気がつきました。それは、
「薄っぺらい人」は、安易に手に入るものしか持っていない
一方で
魅力的な人は、なかなか手に入らないものを持っている
ということです。
「安易に手に入る」とは「安価に手に入る」とは異なります。あくまで「簡単に」手に入るものを指します。
言い換えれば、お金を出せば誰でも手に入れることができる”モノ”や”コト”です。
例えばバッグや服や装飾品。
ブランド物のバッグだろうが、服だろうが、結局お金を出せば買えてしまいます。
他にも「海外旅行に行く」なんていうのも今日日比較的安易に手に入れられるものでしょう。
では、なかなか手に入らないものとは何か。
それは、個人の努力によって時間をかけて得られるものです。
例えば、専門的な知識なんかそうです。いくらお金を積んでも知識をつけることは難しいことです。
確かに、お金をたくさん払えば優秀な教師をつけたり、洗練された教材を使うことはできるようになるでしょう。
しかし、最終的に知識をつけるのは勉強をする本人です。本人が知識をつける努力をしなければ身につくことはまずありません。
他には、筋肉とかもそうですね。
ジムに通うことは会費さえ払えば誰でもできますが、ジムに休まずに通うことや、目標に向かってトレーニングをしていくということは、自身の努力によってのみ達成されることです。
「薄っぺらい人」は〇〇を持っていない
ここまでだけを読むと、じゃあ平山はブランド物の製品や海外旅行を完全否定しているのか!と思われてしまったかもしれませんが、決してそうではありません。
ブランド物のバッグや服、海外旅行だって、身に付ける人や旅行に行く人によってはそれ自体が中々手に入れることができないものになり得ます。
例えば、同じ服を購入するにしても、服にめちゃくちゃこだわりがあって、服のブランドや流行やコーディネート、生地や製法などに精通している人が、自分の目で厳選して購入することと、特に服に興味もない人が「なんとなくかっこいいから」とか「雑誌に載っていたから」と言って購入することは全く深みが違うと思いませんか?
また、専門的な知識がなかったとしても「どうしてもこの服が欲しくて、バイトをめちゃくちゃ頑張って買った!」という人にも、僕は深みを感じることができます。
先ほどの海外旅行の例で言えば「死ぬまでに一度、大英博物館に行きたくてイギリスに行った。今まで写真でしか見たことがなかった絵画を観れて感動した!」という人と「なんとなく、イギリスが安かったから行った。大英博物館も行ったけど、人が多かったって印象しかない。」という人では、これも全く深みが違うと思いませんか?
先ほど「薄っぺらい人」は簡単に手に入るものしか持っていないと言いましたが、訂正しましょう。
「薄っぺらい人」は、ストーリーを持っていない
のです。
確かに物理的には「薄っぺらい人」も簡単に手に入るものを持っているでしょう。
しかし「薄っぺらい人」には、その結果まで、あるいはそこから派生するストーリーがない。
ただ”物質”としてそこに”モノ”がある。
ただの”過去”として”コト”がある。
そういった人に魅力を感じるはずありません。
一切分脈のない小説や映画を想像してみてください。きっとそれは小説とも映画とも言えないほど酷いものでしょう。
これが「薄っぺらい人」の正体なのです。
逆に言えば、魅力的な人には常にストーリーがある。
ストーリーこそが魅力の本質であり、ストーリーの有無が魅了的な人と「薄っぺらい人」を分けているのだ、と僕は思います。