昭和の居酒屋の心地よさ

日曜の夜、よく行く場所がある。

毎週行くわけじゃない。

ちょっとだけ翌日からの仕事が憂鬱だったり、週末を一人で過ごす侘しさに耐えかねたとき、ふらりと訪れる。

京急川崎の駅から歩いてすぐ。

昭和の時代を感じさせる古ぼったい佇まいの店の中からは、薄いアルミの引き戸を突き抜けて酔っ払いの大きな笑い声が聞こえてくる。

ガラガラと扉を開ける。

昭和の食堂のモデルケースともいうべき内装の店内は九割ほどが埋まっている。奥の座敷は団体の宴席、入り口手前のテーブル席は常連のおっさん、爺さん、壮年夫婦が占め尽くす。

「1人」

とだけ告げて空いている席に着く。この店は相席が当然だ。

狭い店内にたくさんの机と椅子を入れるものだから、一人一人のスペースは狭い。

前後左右の客に気を使いながらも、なんとか自分の位置を確保する。

メニューは置いていない。代わりに、店の中に貼られている手書きのメニューに目を凝らさなければならない。

カレー500円、もつ煮定食550円、ラーメン400円。

ずらりと並ぶメニューはどれも安い。

今日は「野菜炒め定食」

別に野菜炒めが好きなわけでも、ここの野菜炒めが特別だからでもない。

ただ何でもない、本当に平凡な野菜炒めを食べるために来たのだ。

5分そこそこ待つと、デカ茶碗に盛られた大盛りご飯、味噌汁、野菜炒め、たくあんが2枚、出てくる。

まず口をつけるのは、味噌汁。油揚げとワカメとネギだ。うまい。

次にご飯。ご飯は何も言わなくてもいつもこの量だ。オカズに対して多すぎる。

そして野菜炒め。中華だしで味つけてあるのが伝わってくる。クタクタキャベツにシャキシャキもやし。たまに人参とピーマンが顔を覗かせる。本当は肉も入っていればいいのだが、この店の野菜炒めには野菜しか入っていない。それもまた、一興だ。

黙々と一人で箸を進める。奥の座敷からは大きな笑い声、テーブル席からもいろんな話が聞こえる。雑踏だ。決して一人で食事をするのに心地いい環境とはいえないだろう。でも、私にはどうしてか、この心地悪さが心地よいと感じるのだ。

最近はどこに行っても居心地がいい。居心地が良くない場所の方が少ないほどだ。しかし、その心地よさに私は違和感を覚えてしまう。精巧に作られた偽装品に囲まれているような感覚に陥ってしまうのだ。

思えば私は偽装品が支配する世界で生きている。表面をどう取り繕うかに執念を燃やす職場、加工された写真で埋め尽くされたSNS、異常ともいうべき擁護やその逆の批判が飛び交う世論。どれもこれも一見は体裁が整っていて、圧倒的で、理想的であるようにも見える。でもそれは殆どの場合、真実ではない。

多少居心地が悪く、都合が悪いものこそが普通で自然だと感じる。そして自然体こそが本当に心地よいのだ。

野菜炒めを食べ終わる。今日もまたご飯が一口残ってしまった。手持ち無沙汰にご飯を頬張り、食べきる。

「ご馳走様でした。」

支払いは現金のみ。カードも電子マネーも使えない。

何とも不便だ。だが、それでいい。

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