「なぜ勉強するのか」という問いは誰しも1度は考えたことがあるだろう。この問いに明確な答えはないが、過去の偉人の名言からいくばくかの知見を得るところは間違いない。

例えば、福沢諭吉は「学問のすすめ」の中で「人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。」と記しており、

トーマス・エジソンは「成功しない人がいたとしたら、それは考えることと、努力すること、この二つをやらないからではないだろうか。」と述べている。

この言葉の示唆するところに関しては言及しないが、偉人もこのテーマについて考えるところがあったと断定して良いだろう。

話は変わって、先日、友人に会いに大阪に行ってきました。

東京から飛行機に乗り、空港からはバスで難波へ。非常に朝早い時間のフライトということもあり、私は朝ごはんを食べずに大阪まで来ていた。「眠い」「たこ焼き食べたい」以外の感情を失いつつ、やっと着いたバスを降りた。

そこには、そんな私の眠気と空腹感を一気に吹き飛ばす衝撃的な建物あった。

「南海野村ビル」

エントランスのガラスの自動ドアの上に、銀色に輝く鉄製のワードアートでそう記されていた。

この文字列を認識した瞬間、まさに身の毛がよだつ思いがした。南海の野村、そうこれは南海ホークスの背番号19、選手そして監督として大活躍し、引退後はヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏のビルに間違いない。きっと大ベストセラーとなった著書「野村ノート」の印税を持ってして、南海ホークスの本拠地・大阪球場があったこの難波の地に建設したものなのだ。いわば野村ノート御殿、その前に私はいるのだ。

いや、もちろん本気でそんなことは思っていない。南海は南海電鉄の南海だし、野村も野村不動産の野村だろう。南海ホークスも野村克也も一切関係がないことは明白だ。でも、この一瞬、私は「南海」「野村」と言うワードだけで全身が湧き上がるような思いをすることができた。もし、私が南海ホークスも野村克也も知らなければそんな経験はできなかったはずだ。きっと「たこ焼き食いて〜〜」とでも言いながらビルの前を素通りしたに違いない。

話を元に戻そう。なぜ勉強するのか。この問いに対する私の答えの1つは「楽しむため」だ。

何も知らなければつまらないものも、知識があれば楽しむことができる。つまらないものも面白くなる。

高杉晋作の有名な句がある。

おもしろきこともなき世を面白く
すみなしものは心なりけり

面白くない世の中を面白くするのは、心である、と言う意味だ。

この”心”を育む源泉、それは知識であり、知識を育むものが勉強なのではないか。そう思うのです。

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